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日西経済友好会
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日西経済友好会 第46回定例会活動報告


日時:2010年01月22日(金)18:45〜21:30
場所:カフェ・ジュリエ
参加者:49名
講演:「スペイン語通訳 四方山話」
  講師:横田佐知子氏  スペイン語翻訳・通訳
   
1) 講演
  1. 通訳になったキッカケ
     父親の仕事の関係で、小学5年生の夏から3年間、アルゼンチンに滞在した。日本人は兄と自分の二人だけ、又、スペイン語を話せないのも二人だけで、多分、その時の体験が無意識の内に強迫観念になっていたのかも知れないが、帰国後、中2か中3の時に将来、通訳になりたいと思った。
     その後はスペイン語を全く勉強しなかったが、大学受験に当たり、当時、通訳コースが唯一あった国際基督教大学を第一志望に、上智大学を第二志望としたが、結局、上智大学に入学した。
当時、共学・四大卒・女子は就職が厳しく、先輩から「通訳業は食べれないから止めた方が良い」と忠告されたこともあり、上智大学の事務所で働きながら、友人達と或るスペインの劇作家の作品の翻訳をしていたが、町並みの説明のニュアンスがピンと来ない点があり、辞書だけでは分からなくなって、現場を見ようということで、マドリードに行った。それを契機に仕事を辞めて現地で勉強して帰国後、偶々、友人のツテで通産省管轄の技術研修を主体とする団体で逐次通訳を始めたが、これが私の原点である。
この逐次通訳は、講師の話が研修生に正しく伝わったか、分かるので良い勉強の場になった。
こうして、曖昧なキッカケで通訳になったが、初年度の年収は45万円であった。
     その年の後半に、兄の友人の関係で三井物産の翻訳の仕事に携わることとなり、その後、三井物産関連の仕事は辞めたが、今でも別の形で、翻訳業を続けている。残念ながら、スペイン語の場合、通訳業だけで、生計を立てるのは難しいのが実情である。
     日経新聞の連載コラム「通訳奮闘記」は、友人のロシア語通訳、米原万理から紹介されたが、初めての経験であり、800字だったので、非常にしんどかった。
     同時通訳は或る日突然始めた。スペイン映画祭のシンポジウムに或る先輩が携わっており、或る時、監督が通訳の不満を漏らした為、先輩から突然の指示を受け、ブースに入り、ノーギャラで務めた。二回目は、TBSの対談番組で、市川猿之助、フラメンコで有名な人と森下洋子の同時通訳をした。
     
  2. 通訳の鉄則
     「通訳は黒子」と思っており、歌舞伎の黒子のように、自分の存在が忘れられるように努めている。今まで一番嬉しかった褒め言葉は「貴女がいることを忘れていたよ」である。
     もう一つは「時間厳守」で、常にその場に居ることが大事である。会議が始まる時に通訳が居ないことが、一番不安感を与える。過去に一度だけ、海外で時差を間違え寝過ごして遅刻したことがある。
     後は「能力」であるが、同時通訳をやっていると、フィードバックがないのが辛い所で、どの程度やったら良いか目安が付き難い。逐次通訳は反応が見えて分かり易いが、それでも、後から気になって寝れないこともある。
     
  3. 他の言語と比べてどうか
     英語通訳の人は一般的に他と交わることを避ける傾向にある。一方、フランス語、スペイン語、イタリア語通訳の人達は休憩時間に和気藹々と話している。その言葉の人達の特徴と通訳の特徴と似て来る傾向にある。
     英語通訳は不況と言いつつ仕事があり、何年も前から消費税を支払っている人がいるが、スペイン語の場合、自分も含めて消費税を払っている人はいない。
     今までで一番収入を得たのは、「ペルー事件」の時で、一日3時間位しか寝る時間がなかった。色々掛持ちした人でアパートを買ったという噂もある。
     米原万理の本「ガセネッタ&シモネッタ」に「ガセネッタ」とあるのは私ですが、これは正にガセネタで、誤解なきようお願いしたい。
     
  4. 記憶に残っている通訳
     通訳は忘れるのが商売である。脳みそのキャパは限られている。特に政府高官とか経済委員会の話は外部秘のことが多く、取り敢えずは忘れるよう努力しており、段々忘れるのが得意になって来て、最近は困ることもある。
     記憶に残っているのは、例えば、「天皇皇后両陛下南米ご訪問時報道官通訳」の時で、政府専用機に乗ったが、航空自衛隊の人がCAをしていて、非常に親切で快適であった。
     今までで一番短い出張は、ペルー事件の時の「トロントでの橋本総理とフジモリ大統領の会談」で、記者会見の通訳を務めたが、往復26時間、現地滞在22時間であった。現地出発が遅れたが、途中で他の飛行機を追い抜かし、羽田到着は予定時間通りで、こういう裏技があるのかと驚いた。
     
  5. 内容的に印象に残っている通訳
     通常、通訳は15分位で交代するが、アルゼンチンの小説家マヌエル・プイグの講演会の時は、気分が良く、リズムが乗って、結局1時間やってしまった。ルール違反であるが、同僚に言わせると非常に乗っていたとのことである。
     通訳をしている時は、心拍数が150を超えるので、激しい運動をしているのと同じである。通訳の持病は心臓と分裂症だと言われていた。
     「カミノ・ホセ・セラ」は本当に難しかった。カタルニア首相「ジョルジュ・プジョール」には一週間同行したが、通訳の名前を覚えてくれる人が少ない中、自分の名前を覚えてくれて、印象に残った。
     竹下登大蔵大臣は非常に気配りのある人であった。日本の政治家、特に大臣をしている人は外国からのお客様を本当に歓迎しているのか疑問に思うことが多い。にっこりしない、目を見ない人が多く、せめて自分の執務室に招いた時ぐらい気持ちを出して欲しいと思う。ラテンアメリカとかスペインに関心がない人が多いが、橋本総理、小渕総理(学生の時に南米オートバイ旅行をした)は別で、橋本総理は外務省に中南米局を復活させたことを誇りに思われていた。田中真喜子外務大臣も非常に温かい迎え方で感銘を受けた。
     外務大臣だと夕食会の開催が多いが、日本食で招待しても、メニューがあるだけで、説明が全くなく、ホスト国として、メニューに沿って説明をしてあげて会話を盛り上げれば良いのにと思う。最近、「もてなし」ということが話題に上るが、本当に外交の場で「もてなし」がなされているのか疑問で、異文化を持って来ている人に対して、こちらの文化にもっと馴染み易くして上げればと思う。
     麻生総理も非常にオープンな方で、チャベス大統領は直ぐに太郎とファーストネームで呼んだ。チャベス大統領の場合、待ち時間が問題で、部屋から何時出て来るか予測出来ず、待ち時間の方が長いことが多かった。普通、ホテルにはVIPルームから入るが、彼の場合は、一般ロビーから入り、その場にいる誰とでも話してしまい、特に驚いたのは、ヴェネズエラのコーヒーとカップを持ったコーヒー係がいて、一般人にサーブしたことであった。
     
  6. 良かったこと、困ったこと
     レセプションは社交・挨拶の場ではあるが、意外に真面目に聞いている人がおり、日本語らしく、スペイン語らしく、手抜きをしないように務めている。或るレセプションで、スピーカーの話も良かったし、自分の通訳も良かったのか、会場が水を打ったように静かになり、こうした感覚を楽しみに仕事をしている。
     困るのは、一部の大使館の場合、要人が来日した時に、食事を取る時間がないことが多いことである。脳ミソはエネルギーを消費するので、考えて欲しい。(人間扱いして欲しい。)
     目立ちたくないとは言いながら、やはり名前を覚えてくれると気分が良く、気分を良くさせると、力を発揮するものである。
     長年やっていると、結果的にコロンビア、チリの歴代の大統領の通訳をやっていたというようなこともある。
     頭が使えて、喋れる間は、仕事が好きなので、これからも続けて行きたい。ただ、不況でブランクがあると、勘が鈍くなり、昨年は2ヶ月位ブランクで、再開の時は、車で言うとアイドリングがなく、ガレージから出れないような怖さがある。逆に続いていると、勘が冴えて、歯車が動いている気がする。
     スペイン語通訳は希少価値があるから、ギャラが高いという誤解があるが、そんなことはない。パイが小さいので後輩が育ち難い。仕事の乱高下が激しい仕事の入り方で、これが一番辛い。
     
2) 質疑応答
  1.  同時通訳時は心拍数が150に上がると言われたが、頭の中では何が起きているのか?
     −実際の所よく分からない。反射神経のようなもので、「パヴロフの犬」かも知れない。スペイン語はOne paragraph, One sentenceが多く、スピーチペーパーを用意してもらっても、書いたものは文語で、文語は分かり難く、話し言葉でフリーハンドに話してもらった方が良い。相手が不安にならないよう、空白がないように努めている。又、直前の文を記憶しておいて、次の文と関連付ける工夫もしている。何しろ、或る日突然始めて、習ったことがないので、試行錯誤でやって来た。
  2. 学術的な言葉は事前に勉強するのか?
     −スピーチペーパーのない場合は洩れもあるので、分野がはっきりしている場合は、資料の勉強するが、専門用語はお互いに分かるので、流れをそのまま通訳する。場合によっては、英語も使う。「知ったかぶりをしない」のも重要でさる。
     
  3. 色々ご苦労話を聞いたが、それでもスペイン語通訳を続ける理由は何か?
     −時々むかっとすることもあるが、リズムが合うというか、人間的に明るく、可愛い人が多く、通訳が気持ちの良い経験にもなり、それが快感ともなっているのだと思う。
     
  4. スペイン語はTuとUstedがあり、乗って来るとTuで話すことがあるが日本は敬語の社会であり、その辺の兼ね合いはどうか?
     −日本人とスペイン語圏の人の場合はスタンスが異なる。例えばチャベス大統領の場合、直ぐにTuで話し出すが、中々踏み切れず、敬語で通訳してしまう。プジョール首相の場合は、初めからTuであるが、政治家同士の場合、いきなり自分で判断するのは難しく、その場に立ち会っている人に相談するのが良いかも知れない。お互いにTuで話している距離のない人同士はやり難く、友人の通訳はしたくない。
     
  通訳として、是非ともやりたいのは、中村吉衛門、中村勘三郎、片岡仁左衛門で、同業者にもギャラは上げるので、紹介して欲しいと言っている。死ぬまでに出来れば良いなと思っている。
     
*概況コメント
   日本におけるスペイン語通訳の第一人者としての長年に亘る経験からの、色々なご苦労話、裏話をユーモアを交えてお話頂いたが、通訳業の実態がよく分かった。
講演後は、尾島博氏の工房「セラーノ」製の無添加ハモン、チョリソ他をスペインワインと共に楽しみ、新年会に相応しい盛会となった。
何れ、「セラーノ」見学会を企画する予定。
     
    (文責 清水正敏)




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