第53回定例会活動報告 & 第13回総会

日時:2011年7月25日(月)18:40~21:30

場所:カフェ・ジュリエ

参加者:39名

1)総会
2)マヌエル・サンチェス 氏  講演
3)概況説明

1)総会

    清水副会長を議長に選出、活動報告、活動計画を澤木副会長が説明、会計報告、予算を田林理事が説明、役員選出議案を清水副会長が説明し以下議案が承認された。
    1号議案 2010年度活動報告及び決算の承認
    2号議案 2011年度活動計画及び予算の承認
    3号議案 役員一名選出(宮沢裕保氏)の件

2)講演

    マヌエル・サンチェス氏
    「私が体得した第5の外国語日本語の勉強法とスペイン語学習へのアドバイス」
*SBTOスペイン政府科学省産業技術開発センター日本代表事務所初代所長、元愛知万博スペイン館特別アドバイザー、元サラゴサ万博日本館アドバイザー等など日西の架け橋として幅広くご活躍された、同氏の卓越した日本語は夙に定評があるところから今回は、その日本語の学び方を話して頂き、スペイン語学習の参考にすることを目的とした。
講演概要
    ― 恵まれた言語環境の生い立ち ―
  • 来年で来日50年。25歳の時サンフランシスコから船で横浜に着き、そこから自分の日本語の勉強が始まった。
    カタルニア出身なので生まれながらのバイリンガルなうえ、スペイン語は、日本語と同じく母音が5つという利点があったので 発音し易かった。
    更に父は詩人であり、新聞やニュース原稿の文章を添削 修正する仕事をしていたので、言語については厳しかった。
    先ず 言語に対し尊敬の念を持つことをたたきこまれた。
    即ち 家では 正しく間違えないで話すこと 下品な言葉を使わないこと 他の言語が混じらないことなど が厳しく要求された。
    カタルニア語を話すときは、純粋にカタルニア語だけ、スペイン語を話すときは、純粋にスペイン語だけを話さなければならない。
    処が 昨今 カタルニアの人達は スペイン語混じりのカタルニア語を話し、カタルニア語混じりのスペイン語を話す有様である。
    子供のころ父に手紙を出すと、返事の代わりに文章の誤りを赤インクで添削したものが送り返されてきたものである。
    自分は9人兄弟の4番目。次兄は勉強家でサグラダ・ファミリア教会の司祭をしていたが、彼はヨーロッパ系言語だけでなく、アラビア語、ヘブライ語に至るまで10ケ国語を話し、自分はこの次兄を手本にしていた。
    ― 米国留学 ―
  • 20歳の時、英語を学ぶ為米国へ留学。
    父は、その時カタルニア語やスペイン語がうまく話せるのだから、英語も同じように上手く話せなければならないし 日本に行くなら日本語もだと言って送り出してくれたが その時は日本に行くなど全く考えてもいなかった。
    米国ではジョージタウン大学言語学部で学んだ。この学部は、言語学のパイオニア的存在で、学部長のロバート・ラド教授は、外国人の為の英語教育について独自の方法を編み出していた。
    ラド教授のこの教育手法は、ミシガン大学でも日本進駐軍のための日本語速習講座に応用されていた。
    私が入学した六本木の日本語学校は、今までの長沼方式教育方法を改め、将にこのミシガン大学のラド方式を採用していたのである。
    ― 日本語学校での最初の授業 ―
  • 教科書は一切使わず音声だけを基本とする授業。
    即ち 毎日1時間~1時間半 先生の言った言葉、フレーズを、繰り返し自分が発音しそれを録音して先生の発音と比較するというものだった。
    先生は、日本語のみを使い 一切英語は話さなかった。
    自分のクラスは、カナダ人4人スペイン人シスター1人と自分の6人。
    皆より一週間ほど前に日本に着いた自分は、町を歩いて頻繁に耳にした「いらっしゃいませ」が挨拶の言葉かと勘違いし、クラスのみんなを纏めて 初日 全員大きな声で「いらっしゃいませ」と先生を出迎え、若く美しい先生に大笑いされた。
    そこで 最初の一時間目は、専ら朝の挨拶の言葉「おはようございます」だけを徹底的にやらされた。少しお辞儀をするしぐさと共に いろいろな場面を想定して練習し、皆それが自然に発音できるようにまでなった。
    10分の休みを挟んで二時間目は、ありとあらゆる挨拶 「行ってきます」「お帰りなさい」「いただきます」「ごちそう様」「失礼しました」等などの練習をして それをすべて覚えた。
    次はある基本になる文章を聞き その中の単語をいろいろ変えて 話す練習。
    之もペーパーは使わずすべて暗記で行う。
    また暗記するには日本語の文章構成の特徴から 頭からではなく、最後から覚える方法がとられた。
    例えば「明日 天気さえ良ければ、町へ出かけてブラブラしたりして、もしかしたら映画でも観に行こうかなと思う」という長い文章の場合は、「見に行こうかなと思う」から始め「明日、天気さえよければ」を最後に覚えるという具合である。
    ― 江副先生夫妻の教育態度 ―
  • 一週間ごとに 学習した内容関連の文法等については英文で説明した本が与えられ、それは各自が読んで勉強したが、この学校で出会った江副先生の教育現場での態度は素晴らしかった。
    即ち授業で
     日本語の文法の説明は一切しない。
     日本語を英語や他言語と比較することは、一切しない。
     日本語と日本語の違いだけは丁寧に説明する。(「知らない」「わからない」「存じません」「存じ上げません」の違い等)
    というものだったが、今思うと、この学校での一年は、苦労した覚えはなく 楽しく 常に学ぶ喜びを感じていた。
    ― 言語学習における歌の効果 ―
  • あるとき、何の番組でもよいから 最低3分最高5分 ラジオを聞いて、意味が分からなくてもそれを 平仮名で書きなさいという宿題が出た。音声に慣れることが目的だった。
    カナダ人のあるものは、なんと野球の実況放送を、またあるものは固有名詞ばかりの株式市況の放送を選んでしまった。
    自分は当時出たばかりの裕次郎が歌う「赤いハンカチ」を選んだ。
    これは、全部歌って3分、ゆっくり丁寧な発音の日本語で魅力的な歌だった。
    その中には「そっと」とか「しょんぼり」とか たった音節ひとつだが、スペイン語で説明するにはいくつもの言葉を並べなければならない独特の味わい深い日本語があった。日本語には、「きっと」「やっと」「ペラペラ」「メロメロ」等々の表現や、また歌にしか出て来ない「恋しい」「切ない」など新聞にはない言葉を 歌で楽しく学ぶことが出来るものだ。
    日本での最初の仕事は、中高一貫教育のミッションスクールでの英会話教師だった。
    生徒たちの英語の発音は全くできていなかったが、ジョン・バエズ、シナトラ、サイモン等の歌になると皆上手にいい発音で歌っていた。
    そこで音楽の先生に提案し、しばらく英会話と音楽の授業を合併してやってみようということになり、英語の歌詞は自分が教え、歌の方は音楽の先生が担当した結果、とても楽しい授業になった。
    言語学習に於いて、歌を通して、感動しながら教科書にはない体験をするというのもいいのではないかと思う。
    ― 日本語の読み書き ―
  • 読み書きの授業が始まったのは、入学して4か月ぐらい経ってからだった。
    最初はカタカナを学ぶ。
    自分の名前、自分の国、外国の国々、外来語などから始めた。
    次に 平仮名を学び、最後が漢字だが あまり論理的な方法ではなく 六本木、原宿、日比谷等 日常良く出てくる場所の名前や先生方の名前から入った。
    無論これとは別に 副読本があり授業の進行に応じて少しずつ漢字が増えていった。
    ― 江副先生が贈ってくれた日本語学習の言葉 ―
  • 大阪の高校に英語教師として赴任するに際し、これからは自分で日本語を勉強していくことになるからと、次の言葉を贈ってくれた。
     *毎日必ず 日本語の何らかの文章を、声を出して読むこと。
      (声を出さず眼だけで読むと、漢字の訓読み音読みの区別を曖昧にし、漢字の意味だけ理解し読み方は分からず済ませてしまう 誤魔化しが生じる)
     *自分の読み方を録音しそれを聞くこと。(正しい音声)
     *辞書は、和英、和西ではなく 日本の中学生向けの国語辞書を使うこと。(説明がわかりやすい)
     *日本語で何か疑問が生じた場合は、国語以外の先生に尋ねること。(国語の先生は専門なので、余計なこと、細かいことを説明し参考にならない。)
    ― 日本語の特徴・人前での話し方 ―
  • 江副先生の夏の合宿で、人前での話し方を学んだ。
    西洋の話し方は、まずテーマを述べ、これを三つに分けて話し、結論はこうだというものだが、日本は起承転結。蚊取り線香方式で、外から内に引き込んでゆく。即ち最初びっくりさせて連れて行き、結論は、こちらが 与えるのではなく、そこに導く材料は与えるが、結論は自分で出す方が効果的というもの。
    手本として落語を挙げられたので、落語の間(ま)、ラテン系の無意味なジェスチャではなく具体的意味を表す身振り手振りを学んだ。
    ― 通訳の養成 ―
  • 今通訳養成の講座を担当しているが、通訳は、普通の学校や大学で教えてくれるものではなく、プロでなければならない。言葉が出来るだけでは通訳はできない。
    オールマイテイーの通訳等存在しない。多くの失敗や苦しみから学んでゆくものである。
    しかし両者の間に立って交渉が成功した時の喜びは大きい。
    フェリペ・ゴンサレスの通訳をして Extraordinario!と褒められたこと、橋本首相が首相就任時、エチェガライ工業大臣宛ての書簡の中で、両大臣間の通訳をした自分への感謝の念を特別に記していたこと等が喜びの思い出として残っている。

    江副先生が教えてくれた、人前で話す要諦は、初めの言葉と結びの言葉は決めておき 間の話は,聴衆の顔を見ながら臨機応変に対応するというもの。
    皆さんの顔を見ていると、そろそろ隣のレセプション会場に気持ちが移っているようなので、これで締めてオチとする。

3) 概況説明

  • 前半のスペイン語と後半の日本語の講演が、その巧みな日本語と話の構成の上手さを浮き彫りにし、さらにユーモアあふれるエピソードで聴衆を魅了した。
    懇親会の場では、スペイン語、日本語の話題に花が咲き、講演の中身からもスペイン語を学ぶヒントが多々提示され、大変有意義な会であったとの感想が多くの参加者から聞かれた。

以上
(文責 清水)