第41回定例会

日時:2009年1月29日(木)19:00~21:30

場所:サロン・ド・テ・ジュリエ

参加者:34名

1)田中 克之 氏 (日西クラブ会長、元駐スペイン日本国大使、現日本大学教授) 講演
2)マドリード日本人会20周年記念「桜の植樹計画」
 講演に先立ち、司会の清水より、当クラブにて賛同者を取り纏め、一括送金することを説明、募金の協力要請を行った。
3)概況説明

1)講演概要

    田中 克之 氏 (日西クラブ会長、元駐スペイン日本国大使、現日本大学教授)
    「2008年、私の観たスペイン」

  • 2008年は国際金融危機が世界を席巻した年として記憶されることになりそうですが、同時に良きにつけ悪しきにつけスペインが世界の耳目を集めた年でもありました。また日本・スペイン二国間関係にとっても大きな動きのあった年となりました。私は、2008 年には2度スペインを訪問する機会がありました。最初は3月にバレンシアで世界室内陸上選手権大会が開催され(国際陸連理事の仕事である)上訴審判員として参加した時です。もう一度は7月に皇太子殿下がマドリードや国際博が開催されたサラゴサを訪問された折りに随員としてお供をさせていただいた時です。また、11月にスペイン国王ご夫妻が国賓で訪日された時にはいくつかの公式行事に参加する機会を得ました。今日の話は、このような機会に学んだことやスペイン在住の友人の話、あるいはマスコミ情報を基にしたものです。
  • 最初に、2008年のスペインについて私の大雑把な印象を申し上げますと次の4点が挙げられるのではないかと思います。まず「 サパテロ首相は良い時期に総選挙を実施した。もう少し遅ければ社会労働者党は負けていたであろう」ということです。二番目は「バレンシア、サラゴサといった地方都市は国際化のための真摯な努力を続けている」ということ、三番目は「2008年は経済が急速に悪化したが、スペインのスポーツ愛好家にとっては素晴らしい年であった」という点です。最後の四番目は「皇室・王室関係が更に強化された。良好な皇室・王室関係が日西二国間関係に与える影響は計り知れない」という点です。
  • 第一点目につきましては、ご存じの通り昨年3月にスペインでは総選挙が行われました。その結果は、より権限の強い下院のみを取り上げますと、全350議席中、社会労働者党(PSOE)が169議席、国民党(PP)が153議席と過半数には達しなかったもののサパテロ首相のPSOEが勝利し、第二次サパテロ政権が成立しました。スペイン経済は、2006年、2007年それぞれ3%台後半の経済成長率でEUの中でも優等生的な存在でしたが、2008年は住宅バブルがはじけ大幅に悪化しました。特に年央以降は失業率も含め急速に悪化しました。2008年の11月末時点での失業率は13.4%とEU諸国の中でも最悪の数字を記録しています。IMFが今年にはいって発表した経済成長予測では2008年が1.2%、2009年がマイナス2%となっています。列車爆破テロ事件の影響を受けた2004年の総選挙を除き、スペインの総選挙は大体経済情勢の動向に左右されますので、今回の選挙が例えば7月以降にでも行われていれば多分国民党(PP)が勝利したものと思われます。議員の任期が4年になっているため、その期限である昨年3月に総選挙をやらざるを得なかったサパテロ首相はその意味でラッキーだったといえます。
  • 次に二つ目の「バレンシア、サラゴサといった地方都市が国際化のための真摯な努力を続けている」という点です。スペインの都市を人口順に並べますとマドリード、バルセロナ、バレンシア、セビリャ、サラゴサということになります。経済力がつき世界の一流国になろうとしている国が「国威発揚」のため行うのが万博の開催とオリンピックの開催というのは日本や、中国の例を見ても頷けるところです。スペインの場合この両者を1992年に開催しました。一つだけでも開催するのが大変なのに両方を同じ年に開催するのは気違い沙汰に近い話ですがさすがにスペインです。バルセロナ、セビリャとも大成功させました。その固有の歴史や文化に加え、このような努力もあり今やバルセロナ、セビリャは世界で知らない人はいません。ところがサラゴサやバレンシアはそうではありません。特にサラゴサは地理的にマドリードとバルセロナの間にあり、丁度東京と大阪に挟まれた名古屋のような感じで知名度が随分落ちます。そこで何とかその知名度を国際的に上げようと今回の国際博の開催に至った次第です。昨年6月から9月までの3ヶ月間の開催でしたがパビリオン数140、入場者数560万人と成功と呼ばれるに十分な数字を残しました。私はこのサラゴサ国際博の成功に日本が大きな貢献をしたと思います。一つは水をテーマにした日本館が素晴らしい出来映えで、外国パビリオンの中で最も好評を博したパビリオンであったことによります。このことは国際博覧会協会から日本館に金賞が授与されたことからも明らかです。もう一つは皇太子殿下がジャパンデイに出席され、また「水の論壇」国際シンポジュームで特別講演をされ、これが聴衆に大きな感銘を与えたことが挙げられます。皇太子殿下の講演は「水との共存?人々の知恵と工夫」というテーマでパワーポイントを使用してのものでした。講演の主要点を私の勝手な解釈で紹介しますと①(オランダの風車やセゴビアの水道橋を例示されつつ)「人類共通の課題である水問題も、地域の歴史や文化を踏まえた地域主体の解決策を考えることが重要」②(スペインが世界第3位を占める風力発電を例に取り上げ“ドンキホーテの風車の伝統が現代に生かされているのではないか”と指摘しつつ「新たな視点で時代に適合した技術を開発することは人類の未来にとり大きな意味がある」③(江戸時代のし尿処理システム、現在の東京の下水処理システムを紹介されつつ)「江戸時代には資源再利用システムが機能していた」「日本人は同じ水を繰り返し利用してきた」とされ、水と人とが係わる「循環型社会」の構築を呼びかけられたものでした。この講演の全文は宮内庁のホームページに出ておりますので詳細はそちらを参照ください。話はちょっと横道にそれますが、文藝春秋2月号にノンフィクション作家の保阪正康氏が書かれた「秋篠の宮が天皇になる日」という文章が載っております。その中で同氏は秋篠の宮が家禽の起源を研究され国立総合研究大学院大学から理学博士号を授与されていることや、昭和天皇が海洋生物研究にいそしまれたこと及び今上天皇が魚類分類研究をされハゼの分類学者としてロンドンで講演を行っておられることに言及した後「立場上、孤独であることを強いられる天皇にとって、学問の世界は知的な興味の追求にとどまらず、深いところで孤独への慰めであり救いになっていたのではないだろうか。その点、皇太子にはそうした場所が見あたらないことが気にかかる。登山やマラソンでは孤独は深まるばかりだろう。・・・」と述べています。皇太子殿下が長年に亘って水運の研究に励まれ、今回の講演のみならず、これまで世界水会議などでも貴重な講演をされてきていることは多くの国民が知っている事実でありますだけに、何故保阪氏がこのように記述されているのか全く理解できません。
    今回、皇太子殿下のスペインご訪問に同行し、全く知らなかったことを学ばせていただいたことが一つあります。多分皆さんもご存じないと思いますので紹介させていただきます。殿下は今回のスペイン訪問でトレドを訪問されましたが、訪問先は市内ではなくタホ川の対岸でした。ご存じの通りトレドはその3方がタホ川に取り囲まれた町です。そして遠くから見てもアルカサルの城が聳え立っているのが判ります。カルロス一世の時にそのアルカサルの庭園にタホ川の水を引きたいと考え、イタリア出身のフアネロという技師に揚水機を考案させました。タホ川の水面とアルカサルの庭園は垂直に計ると約100mの高さの違いがあります。殿下は、すでに昔そのような揚水機がトレドに存在したことをご承知で今回のトレド訪問ではタホ川のどの場所からどのような方法で揚水したのか実地検証に行かれたわけです。
    揚水のメカニズムを一言で言いますとタホ川の水で水車を回しその力で何百というバケツが水をくみ上げ上方に運んでいくというものです。水運を研究されている殿下であるが故に判られる話で私などはスペインに合計10年もおりましたがこのような話をきくことはまったくありませんでした。トレドの市長もこのような訪問者は初めてであると驚いておりました。
    地中海に面したバレンシアは内陸都市サラゴサよりも遙かによく知られた都市ですが、それでも更に世界に売り出そうとあの手、この手を試みているその姿勢には敬服させられます。冒頭にお話ししました世界室内陸上選手権大会の開催の他、2007年に続き今年もヨットのアメリカスカップの開催地になります。また自動車レースに関心のある方には常識でしょうが、昨年からバレンシアはF1グランプリの開催地になっています。スポーツばかりではありません。温暖化をどう食い止めるかというのが全世界の喫緊の課題になっておりますが、この問題についての最新の科学的知見を第4次報告書として取り纏めた「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」を2007年11月に開催しています。
  • さて次は3番目の「スポーツ愛好家にとっては、2008年は素晴らしい年であった」という点です。まずサッカーの欧州選手権でスペインは44年振りに優勝しました。サッカーといえば一番有名なのはワールドカップですが欧州選手権はこれに次ぐ大会です。人によっては「ワールドカップは実力の異なる世界各地域からの代表による大会であるのに対し、欧州選手権は世界で最も高いレベルにある実力の伯仲したヨーロッパ諸国の間の大会であるため試合内容は遙かに充実している」といわれる大会です。ヨーロッパでサッカーに次ぐスポーツといえば自転車のロードレースとテニスですが2008年はいずれのスポーツもスペインのためのスポーツになりました。自転車のロードレースで有名なのはフランスのツール・ド・フランス、イタリアのジロ・デ・イタリア、スペインのプエルタ・ア・エスパーニャですが、ツール・ド・フランスはカルロス・サストレ 後の2者はアルベルト・コンタドーレというスペイン人選手が優勝してしまいました。更にテニスではスペインのナダル選手が仏オープン、ウインブルドン、北京オリンピックで優勝したほか同選手が参加しなかったデビスカップでもスペインチームがアルゼンチンを破り優勝しています。テニスの男子ランキング50位以内にスペイン人が10人前後いるということですから日本人から見れば気の遠くなるような話です。更に北京オリンピックでのスペイン人選手の活躍も光りました。獲得メダルは金5、銀10、銅3でした。ヨット、自転車、テニス、カヌー、シンクロ、フィールド・ホッケー、バスケットボールなどでメダルを取っています。主要イベントである陸上や水泳でメダルがないというのが問題だという指摘もありましたが、メダル数とその内容からいえば1992年のバルセロナオリンピックに次ぐ成績です。
  • さて、最後に申し上げたいのは「良好な皇室・王室関係は二国間関係増進の大きな推進力になっている」という点です。私が大使としてスペインに在勤しておりました頃、国王ご夫妻には時々お目にかかっておりましたが、国王はいつも口癖の如く「日本の皇室とスペイン王室の間では2世代が同時に交流している。つまり、自分の世代も自分の子供の世代も相互にかつ全員がお互いの国を訪問し、お互いを知っている」といっておられました。確かに皇室・王室間の交流は大変活発です。先ほどお話ししました皇太子殿下のスペイン訪問は5回目に当たります。天皇陛下は4回スペインを訪問されています(うち一回はお一人で、残り三回はご夫妻での訪問)。スペイン国王夫妻は昨年11月に2度目の国賓としての訪問を行われましたが、訪日自体は7回目になります。今回の訪日で国王夫妻はビジネス関係者の会議出席、筑波の研究所ご視察、セルバンテス協会の開所式出席などいろいろな行事に出席されました。国賓としての訪日でしたので宮中晩餐会も行われました。私も元スペイン大使ということで出席させていただきましたが、宮中晩餐会は最近では年に2回程度しか開催されない格式の高い晩餐会です。宮中晩餐会について一つだけ私の印象を話させていただきますと、それは天皇陛下の歓迎のお言葉、国王陛下のご答辞の内容がそれぞれ大変含蓄に富んだものでありましたが、同時に、両国における天皇と国王のお立場の違いが表れたように思われる内容であったということです。天皇のお言葉は、フアンカルロス国王夫妻との最初の出会いから今日までのご交流を振り返られ、各時点時点で何を感じられたか、何に心を動かされたかということを中心にして主賓である国王夫妻への想いを強調された内容でした。他方国王の答辞は、最近の国際情勢、日本とスペインの交流の歴史に言及されつつ今後の方向を示唆される内容のものでした。立憲君主制の国であるという点では両国とも同じなのですが、双方の国における君主としてのお立場の違いがこういう点に表れるのではないかと思った次第です。天皇のお言葉、国王の答辞とも全文が宮内庁のホームページに掲載されていますのでご覧いただくと良いと思います。
    国王夫妻はJR市ヶ谷駅近くにあるセルバンテス文化センター東京の開所式にも出席されましたが、このセンターはセルバンテス協会のセンターとしては世界でも最大規模のセンターだと聞いております。このセンターは実際には一年ほど前からすでに事実上の活動を行ってきていますが、その活動の幅といい、内容といい素晴らしいの一語につきます。これを見るとスペインの日本に対する力の入れ方がよく分かります。
    いずれにしろ皇室・王室関係が良好で、そのメンバーの方が相手国を訪問されますと行かれるところ行かれるところ多くの人が集まり、マスメデイアも大々的にかつ好意を込めて報道します。何千人の外交官が束になってかかってもかないません。そういう意味で2008年はスペイン王室と親密な関係を有する皇室を戴くことの有り難さを改めて感じさせられる一年でありました。
  • 以上が、少々雑駁ではありますが、私の見た2008年のスペインについてのお話です。ご静聴有難うございました。

3)講演概要

  • 講演後は、澤木副会長から、日西経済友好会の10年の歩みについて説明、乾杯の後、ハモン・イベリコに飲み放題の
    ワインで話も弾み、10周年記念の新年会に相応しい会となった。
  • 以上
  • (文責 清水)