第60回定例会

日時:2013年1月23日(水)19:00~21:30

場所:カフェ・ジュリエ

参加者:48名(講師含む)

講演:林 貞男氏(元スペイン住友商事社長、元神田外語大学講師)

  「支倉使節渡欧時のスペインとヨーロッパ」

資料(レジュメ)

講演概要

「支倉常長の研究をした経緯」
私は、歴史学者でもキリスト教徒でもないが、10年前に仙台青葉城開城400年を記念して、宮城県と石巻専修大学が「キューバのハバナに支倉常長が何故行ったのか?」というテーマで行なった学術調査団に偶々、通訳として参加したことが契機である。
持ち帰った大量のスペイン語文献の翻訳も依頼されたが、従来の文献にはない新事実も知ることになり、結果的に長年、支倉使節の研究をすることになった。

下記内容に付き説明を受けた。(詳細は資料参照)
1. 支倉使節の渡航目的(伊達政宗の指示)
1) スペイン王室との友好親善・協力推進
2) メキシコ副王領陸奥仙台藩との直接貿易要請
3) 陸奥仙台藩へフランシスコ会宣教師の派遣要請

2. 支倉使節の行程
1) 日本からマドリッドまで
2) マドリッドからローマまで
3) ローマからスペイン出発まで
4) スペイン出発から日本帰国まで

3. 支倉使節の交渉目的の背景
1) 仙台藩にとってメキシコとの直接貿易を必要とする事由
2) 宣教師招来(西欧文明・技術による奥州の発展)と徳川禁教令との関連

4. 家康のメキシコとの直接貿易に関する交渉

5. 支倉使節の交渉経緯
1) メキシコ副王
2) スペイン国王フェリーペ2世
3) ローマ教皇パオロ5世
4) フェリーペ3世(ローマからの帰途)

6. 支倉使節渡航中の日本及び仙台藩関係の主な出来事

7. スペイン歴代王室のヨーロッパ・地中海・新大陸の政策展開

8. スペインの植民地貿易政策(対ポルトガル、オランダ、イギリス、 フランス)
A. 大西洋貿易の展開
B. 太平洋貿易の開発と制限

9. 支倉使節仙台藩帰国後のこと

10. 支倉使節派遣の意義
1) 従来の評価
2) 事実に即した見方
3) 明治の発見
4) 文書に現れない政宗の期待と成果(私の見方)

(質疑応答)
(1) NHKの「侍たちスペインに渡る」という番組で、ハポン姓を名乗る人達の顔を見たが、私の想像とは異なり、余り日本人に似ていなかった。この点どう思うか?
– 支倉が病気で残った時に、後の連絡係として、数名の従者を残したとの説があるが、当時のスペインでは、そう簡単には滞在出来なかったはずで、私はやや疑問視している。しかし、セビリアは新大陸との窓口であった為、フィリピン経由メキシコから来た日本人が当時セビリアにいて、ハポン姓を名乗っていたとしてもおかしくはない。その内、DNA鑑定結果が出ると言われているので期待したい。

(2) 支倉常長の墓が3ヶ所、4ヶ所あるとも言われているが、この点どう思うか?
– 支倉家は改易になったり、復帰しているので、代々の墓が色々な所に分かれているのは事実である。又、息子、孫がキリシタンを匿ったことから処罰を受け改易、そして復帰の連続で、その度に墓所が分かれていったと思われる。東北地方は隠れキリシタンが多いが、支倉家墓所も色々な形で守られて来たのではないか。岩倉具視がキリスト教禁教令を解いた後、支倉常長に付いても調べさせるまで、実態は分からなかった。従って、墓所は3-4ヶ所でなく、もっと多かったと思われる。

(3) 支倉常長自身が、亡くなったことにして、実際は何処かに隠れ住んでいたという説もあるが、この点はどうか?
– 仙台藩の公式記録に残っているので、それは無理ではないか。
それより、大槻玄沢が実際見たという20巻の「支倉使節の渡航中の日記」が見付かれば、支倉常長の良い供養になるし、必ず国宝になると思うので、懸賞金を出すなどして、何とか発見されることを願いたい。

概況コメント

16ページに及ぶ詳細資料を準備の上、非常に興味深いお話を伺いして、日本スペイン交流400周年となる本年の第一回定例会を飾るに相応しい講演であった。講演後は、スペインワインと共に話が弾み盛会となった。

以上
(文責 清水)